一年余りを過ぎた東日本被災地を訪ねて…..

2012-10-19

「早く逃げて」命かけた防災無線・・・南三陸
今更のご報告ですが、6月8日~9日と被災地を訪ねました。実は昨夏に私の娘(当時、大学4年がパパ、夏休みを利用して被災地に行ってボランティア活動に一緒に行かない!)の言葉に共感し週末あたりに一緒に出向く予定だったのですが娘の就活等と私のスケジュールが合わず、断念した経緯がありまた。遅ればせながら勉強会(ニューマーケティング協会)の仲間と被災地に行きこの目で見て参りました。想像を絶する状況に驚愕しました。一年余りを経ても3.11の 凄まじい痕跡が残り津波の恐ろしさをまざまざと感じました。

訪ねた先は石巻~女川~ 南三陸~気仙沼です。(時間的に陸前高田には行けず) 特に報道で知っていた南三陸町役場で最後まで「早く逃げてください…」と防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員が勤務していた町役場の残骸(下記写真)のところにたくさんの花束が手向けられていました。また津波の被害を受けた小学校も裏山に上がらず三角地に避難して被害にあった場所にも訪ねましたが、少し離れた場所では被害度は小さかったり何か自然の不条理を感じました。
地元で被害に出くわした人との食事会も設定されていたので生の声を聴くことができました。とにかく不安と寒さで精神がおかしくなる状態だったとのことで水と火が欲しかった。特に水は一口づつ皆で回して喉を潤した。津波による海水も3〜4日で引いたので庭の草を食べた!・・・カセットコンロでご飯を炊いた!
・・・etc 由
当時の生々しい生活状況を聞きました。こんな環境下で「とにかく起こったことはどうすることも出来ないので前を向いて復興に頑張ると、そのためには雇用の促進が必要です。政府はそちらに予算を付けて欲しい。
場所柄(水産業に)と凄く前向きの青年二人の切実なる生の声に接し明るい表情に安堵しました。

しかし心ある人々から集まったあの義援金は何処へ行ったのだろう!!   丸山宏道

南三陸町役場
南三陸町役場

 

 


 

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