10月, 2012年

明通OB会に参加して思ったこと…

2012-10-31

OB会幹事一同さまへの感謝をこめて・・・
10月28日(日)霞が関ビルの35階(阿蘇の間)で明通OB会が開催されました。OB会と言うと一般的にリタイア組の集いと決まっていますが、私が退社した何年か後、残念ながら明通はある事象によって仲間たちが次々と会社を去って行くことになり、現在の明通は全く企業文化の違う会社であります。そんなこともあって若い方々を交えた交流会のような会でありました。それだけにいろんな悔しい思いを乗り越えてのOB会であっただけにかつての仲間との談笑は格別の感がありました。そんな環境下で神戸前取締役が呼びかけて実現したOB会幹事の皆さんに労いのメッセージをおくります。

 

幹事の皆さん!かくも盛大な明通OB会を開催して頂き有難うございました。そしてお疲れさまでした。
何と! 出席者135人のOBが一同に会するって凄いことです。これは幹事長の神戸さんの人徳と幹事の皆さんの努力の賜物ですね! 頭が下がります。私も10余年前に退社してお会いした大半の方々がそれ以来の再会でした。懐かしい面面に接する機会を作って頂いた幹事の皆さんに感謝しております。お蔭さまで私もある人に、気になっていたこともちゃんと面と向かって伝えることも出来て自分の生き方(生意気ですが)の敬人が出来たことにも「会」に感謝しております。翌日、早速に何人の方々からのメールを頂戴しました。
これを機に再度、旧交を温めることができることを願っております。

一般的にOB会と申しますと定年退職者の集いでありますが、幸か不幸か(不幸に決まっているじゃあ~ないか!とお叱りを受けるかも知れませんが)本来ならば今でも現役でバリバリ働いている年齢の人も参加してのOB会であり自分としては刺激と元気をもらって二次会に流れました(笑)
今では大阪支社以外、あのブランドとしての明通は実態としては存在していないことと同じですが明通という会社が各人の心の中に各々生きていることを証明する会でもありました。“言うは易し行いは難し”と申しますがOB会を企画され、実行された神戸さんに心から感謝しております。重ね々お礼申し上げます。

こうして今の私があるのは明通のお蔭と心から思っています。なんだ今更ゴマを擦っても・・・と思われるかも知れませんが違うんです。自分で起業して改めて分かりました。当初、各TV・R局と各々契約書、覚書を交わして媒体社との取引が成立するのですが、そのときに経歴書を提出しKey局では面接もありました。その席で「開口一番にあっ!明通におられたんですか!」と聞かれます。明通は良いクライアントを持っておられ固い印象があり人柄もよく会社に品というものがありますねえ~由。「そこに何年勤めていたんですか?」ハイ、22年ですと答えると二つ返事で分かりましたと取引成立です。もちろんお金が絡む事なのでこれだけではないでしょうがこのように各局との取引時にどんなに助かったか図り知れません。

これは即ち真っ当な明通であったことの証であり故 清水八十治さんと言う明通の顔(企業姿勢)と先輩(先人)が培って来られたからこそだと思います。これこそ真のブランド企業「明通」だと言えます。信頼の構築は一朝一夕には築けません。長い時間軸を経て評価されたものです。

外の声として、こんなことがありました。ある異業種交流勉強会で名刺交換の時に(前職:りそな銀行の出身で今はある会社の社長)“りそな”出身と自己紹介されたので反射的に私は前:明通でして“りそな”さんとは深く繋がってました。と申し上げたところその方は当時、渋谷の支店長でしたが本店からのリストで重要企業5社の中に明通が入っていて大切なお客さまとして扱うようにとTOPからお触れが出ていたので今でも良く覚えています・・・談。

またこの勉強会でのことですが6年余り前に名刺交換した人が白木大五郎氏(前:DENSA・日立電子サービス/現:日立システムズの専務)です。いまでは弊社の顧問になって頂いております。ご縁は日立→明通の関係でありました。私は日立担当でもなく知らない世界でありましたが明通のことは良くご存知のようで明通を好印象に思っておられたようで、現在、私は大変に可愛がって頂いております。これも日立=明通のgoodな関係が過去にあったればこそのお蔭です。その意味で私・丸山は22年の在職によって間接的に明通の恩恵を受けている一人であります。有難いことです。いま白木さんとは家族のお付き合いまでに発展しています。

それともうひとつ日立絡みの話をいたします。I T関係者が集う会で日立の宣伝部に40年在職で現役のH.Sさんと知り合いになりまして現在、親しくさせて頂いています。彼の話によりますと元.日盛のMさん、Fさん,そして合併後の神戸さん、Ob君、Ok君の名前が出て懐かしく当時の頑張っていた仕事ぶりを聞きました。これも縁です。H.S氏は今年の3月に定年となり今は日本の農業を活性しなくては、それには米と醤油だと言って今、趣味で全国を飛び回っています。

このように幹事長の神戸さんが現役の時に日立の担当取締役をされていた時に良好な関係を日立さんと築くことに腐心されたことが今に繋がっていると深く感謝する一人であることを付け加えておきます。 有難うございました。 丸山宏道

 

 

 

 

昭和の匂いを嗅いで来ました。

2012-10-24

昭和幻風景ジオラマ展
日本橋高島屋の8階で10月18日(木)→30日(火)の期間で、あのNHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングのジオラマを始め懐かしい昭和の街がジオラマで再現されています。これは見逃せない!足を運ばなくてはと思い先日行って来ました。会場に入るとノスタルジックな昭和の雰囲気が漂っていて、いきなり平成→昭和に戻った感じになり沢山の作品(約30作品)が展示されていました。新宿ゴールデン街、浅草凌雲閣、雪の越後十日町、モダン都市銀座…等々、各々の街並の中に人物のミニチュアまでが再現されていて昭和に生きた人々の息づかいまで感じさせるほど実に凄いジオラマ展で、いっとき懐かしさに浸ることができ大満足でした。それと田舎者の私は銀座は文人や芸術家の社交場だと云うことは何かの本で読んだことがありましたが名称の由来までは知りませんでした。「江戸時代、銀貨製造の地だったことから銀座になった…由」パネルを見て知りました。高度成長という昭和の激動を過ごされた方は必見です。いろんな作品の中に囲まれ、少年の頃にタイムスリップし昔を懐かしく想いだすことが出来ます。これらの作品のすべてを山本高樹ジオラマ作家一人で製作されたことに驚きです。どうぞよろしかったら日本橋の高島屋へ(同8階で加山雄三展も開催されていました。こちらは無料です)

ところで私がサラリーマン(明通)の頃の大先輩がリタイアされてからメルマガ「SLAとうきょう通信」を編集/発行されています〔昭和の風景は「思い出のちから」〕をテーマに継続発刊されています。当時の昭和をイラストで表現されていて、こちらも必見です。ご興味がある方 は下記をクリックしてみてください。 丸山宏道 ↓

   クリック →  http://www.sla.or.jp/slatopics/slatokyo.html

 

 

転ばぬ先の杖は必要です…

2012-10-24

 

NMAでの白木大五郎氏の講演
ニューマーケティング協会の主催であります月例フォーラムに於いて弊社の顧問であります白木さんの講演がホテルグランドパレスにて行われました。主題『川柳・標語で学ぶリスクマネジメント』一部、二部を通して3時間半のセミナーで副題として~企業リスクと変革期におけるリーダーの役割~でした。

社会の意識はひと昔前とは全く変わりました。今やグローバル化となり同じ日本人だから分かるだろう!と言ったことは通用しない時代になって久しくなりました。このリスクマネジメントというテーマは各経営者の頭では理解していても我社では大丈夫だろう!と言う考えからなかなか抜け出せません。しかし報道されてきた多くの事件の大半が身内から発信されている事実、将にコンプライアンスは難しいテーマです。企業リスクって大企業だけでなく中小のみならず零細企業でも今では対策を講じることは常識になっています。事が起こる前の手立て対策に大小はないのが今の社会です。 そこで白木さんの講演は川柳を交えて、 故 井上やすしの『難しいことを易しく、やさしいことを楽しく、楽しいことを面白く…のごとく』大変に楽しいセミナーで好評でありました。 丸山宏道

 

一年余りを過ぎた東日本被災地を訪ねて…..

2012-10-19

「早く逃げて」命かけた防災無線・・・南三陸
今更のご報告ですが、6月8日~9日と被災地を訪ねました。実は昨夏に私の娘(当時、大学4年がパパ、夏休みを利用して被災地に行ってボランティア活動に一緒に行かない!)の言葉に共感し週末あたりに一緒に出向く予定だったのですが娘の就活等と私のスケジュールが合わず、断念した経緯がありまた。遅ればせながら勉強会(ニューマーケティング協会)の仲間と被災地に行きこの目で見て参りました。想像を絶する状況に驚愕しました。一年余りを経ても3.11の 凄まじい痕跡が残り津波の恐ろしさをまざまざと感じました。

訪ねた先は石巻~女川~ 南三陸~気仙沼です。(時間的に陸前高田には行けず) 特に報道で知っていた南三陸町役場で最後まで「早く逃げてください…」と防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員が勤務していた町役場の残骸(下記写真)のところにたくさんの花束が手向けられていました。また津波の被害を受けた小学校も裏山に上がらず三角地に避難して被害にあった場所にも訪ねましたが、少し離れた場所では被害度は小さかったり何か自然の不条理を感じました。
地元で被害に出くわした人との食事会も設定されていたので生の声を聴くことができました。とにかく不安と寒さで精神がおかしくなる状態だったとのことで水と火が欲しかった。特に水は一口づつ皆で回して喉を潤した。津波による海水も3〜4日で引いたので庭の草を食べた!・・・カセットコンロでご飯を炊いた!
・・・etc 由
当時の生々しい生活状況を聞きました。こんな環境下で「とにかく起こったことはどうすることも出来ないので前を向いて復興に頑張ると、そのためには雇用の促進が必要です。政府はそちらに予算を付けて欲しい。
場所柄(水産業に)と凄く前向きの青年二人の切実なる生の声に接し明るい表情に安堵しました。

しかし心ある人々から集まったあの義援金は何処へ行ったのだろう!!   丸山宏道

南三陸町役場
南三陸町役場

 

 


 

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